海をながめに・・・ 井植記念館(神戸市垂水区) 神戸ジェームス山と三洋電気のこと [ひねもす日記]
先日、久し振りに 井植記念館 に行ってきました
井植記念館 というのは、三洋電気の創業者 井植歳男さん の住居跡地に建てられた記念館です。
残念なことに、
あれほどあれほど馴染み深かった SANYO というロゴは、もう見られなくなりましたが・・・
井植記念館は、神戸の西地域、
私が住んでいる 垂水区のジェームス山 というところにあります
その名の通り、
1930年(昭和5年)に、神戸に住んだはったイギリス人貿易商、
アーネスト・ウイリアムス・ジェームス さんが、
垂水区の山に自邸を含め、イギリス人のための住宅地を約60棟以上、建設した土地です
サマセット・モーム も ジェームス山 に住んでいた友人宅を訪れていて、
それをもとに、短編を書いています。
「困ったときの友」 という小説です。
「困ったときの友」 は、上記の作品 ↑ に収録されています。
サマセット・モーム代表作 ↓
三洋電気の創業者である井植歳男さんが、そのジェームス邸を所有して、
その地は、今でも ジェームス山 と呼ばれています。
上記 ↑ は、当時の西洋館です
ジェームス山自動車学校や、
コナミもイオンも、ジェームス山店 です。(笑)
井植記念館は、
創業者の井植歳男さんが亡くなられた翌年、
昭和45年に、ジェームス山山頂 に建てられました。
垂水~塩屋間のジェームス山周辺には、
今でも、日本人立ち入り禁止区域 がありますよ
「外国人居住区」 デス
(ウソみたいな本当のお話)
当地に残っている 異人館 も、どんどん少なくなってきています
昨年は、取り壊される予定の異人館について、
反対運動や寄付金が集まったりしましたが、
結局、寄付金が足りず、
その異人館は取り壊されてしまいました T T
阪神大震災で多くの貴重な建物が失われましたが、
残しておきたい風景も、徐々に失われていきます・・・
私、知らなかったんですけど、
井植さんは、13才のときに父親を亡くし、
職工さんとして、
松下幸之助氏とともに松下電器(現パナソニック)を起こした人だそうです。
お姉さんが松下幸之助さんの奥さんなのですね。
そして、松下電器のTOPにいたときに、
GHQの 『 公職追放令 』 から、松下幸之助氏をかばうために、
自ら松下電器を退社されたそうです。
松下幸之助氏から譲り受けた、兵庫県加西市の工場を起点に、
三洋電気を起こされました
本州四国連絡橋 ( 明石海峡大橋・瀬戸大橋・瀬戸内しまなみ海道 ) の実現に尽力をそそぎ、
関西空港 の開設にも関わった人です。
なんか、スケールがすごいですよね。
ほんの少し前のことなのに、
戦国時代を彷彿とさせる、近代の下剋上を感じます。
「財団法人井植記念会」は、今でも、
奨学金制度や文化振興などの社会事業を展開しており、
文化賞を6部門設けて、毎年、6名の文化人や団体が受賞しています。
記念館では、コンサートや、講演会などが催され、
展示物などはほとんどありません。
で・・・
ここからの見晴らしがピカイチ なんです
井植記念館のHPより・・・
東の方から、関西空港、泉南地域の湾岸風景、大阪府と和歌山県の県境、紀淡海峡(友が島)、淡路島(洲本方面、淡路SA)、明石海峡大橋。
西の方向には、小豆島 が望めます。
近辺の野鳥
ムクドリ、ウグイス、メジロ、ヒバリ、ヒヨドリ、モズ、 イカル、ハクセキレイ、トビ、スズメ、カラスなど。
また サシバ の渡りのルートとなっています。
ジェームス山 山頂からの眺め (西から東へ)
白いレールは、井植邸の柵です。
記念館の庭です。
記念館です。
記念館の西側
記念館の西側から見た明石海峡大橋
小鳥たちの声が響く中、
何時間でも見とれてしまうそうな景色なのですが、
如何せん、
ベンチも何もないので・・・
いつも柵にもたれて、
おそらく20分ほど、ぼぉ~っと過ごしています・・・
(日焼けは気にしーひんよーにしてます・・・)
近辺の異人館めぐり など、
そのうちできればいいなぁと思っています。
(立ち入り禁止区域以外) (笑)
最後までお付き合いくださってありがとうございます m(_ _)m
井植記念館 というのは、三洋電気の創業者 井植歳男さん の住居跡地に建てられた記念館です。
残念なことに、
あれほどあれほど馴染み深かった SANYO というロゴは、もう見られなくなりましたが・・・
井植記念館は、神戸の西地域、
私が住んでいる 垂水区のジェームス山 というところにあります
その名の通り、
1930年(昭和5年)に、神戸に住んだはったイギリス人貿易商、
アーネスト・ウイリアムス・ジェームス さんが、
垂水区の山に自邸を含め、イギリス人のための住宅地を約60棟以上、建設した土地です
サマセット・モーム も ジェームス山 に住んでいた友人宅を訪れていて、
それをもとに、短編を書いています。
「困ったときの友」 という小説です。
「困ったときの友」 は、上記の作品 ↑ に収録されています。
サマセット・モーム代表作 ↓
三洋電気の創業者である井植歳男さんが、そのジェームス邸を所有して、
その地は、今でも ジェームス山 と呼ばれています。
上記 ↑ は、当時の西洋館です
ジェームス山自動車学校や、
コナミもイオンも、ジェームス山店 です。(笑)
井植記念館は、
創業者の井植歳男さんが亡くなられた翌年、
昭和45年に、ジェームス山山頂 に建てられました。
垂水~塩屋間のジェームス山周辺には、
今でも、日本人立ち入り禁止区域 がありますよ
「外国人居住区」 デス
(ウソみたいな本当のお話)
当地に残っている 異人館 も、どんどん少なくなってきています
昨年は、取り壊される予定の異人館について、
反対運動や寄付金が集まったりしましたが、
結局、寄付金が足りず、
その異人館は取り壊されてしまいました T T
阪神大震災で多くの貴重な建物が失われましたが、
残しておきたい風景も、徐々に失われていきます・・・
私、知らなかったんですけど、
井植さんは、13才のときに父親を亡くし、
職工さんとして、
松下幸之助氏とともに松下電器(現パナソニック)を起こした人だそうです。
お姉さんが松下幸之助さんの奥さんなのですね。
そして、松下電器のTOPにいたときに、
GHQの 『 公職追放令 』 から、松下幸之助氏をかばうために、
自ら松下電器を退社されたそうです。
松下幸之助氏から譲り受けた、兵庫県加西市の工場を起点に、
三洋電気を起こされました
本州四国連絡橋 ( 明石海峡大橋・瀬戸大橋・瀬戸内しまなみ海道 ) の実現に尽力をそそぎ、
関西空港 の開設にも関わった人です。
なんか、スケールがすごいですよね。
ほんの少し前のことなのに、
戦国時代を彷彿とさせる、近代の下剋上を感じます。
「財団法人井植記念会」は、今でも、
奨学金制度や文化振興などの社会事業を展開しており、
文化賞を6部門設けて、毎年、6名の文化人や団体が受賞しています。
記念館では、コンサートや、講演会などが催され、
展示物などはほとんどありません。
で・・・
ここからの見晴らしがピカイチ なんです
井植記念館のHPより・・・
東の方から、関西空港、泉南地域の湾岸風景、大阪府と和歌山県の県境、紀淡海峡(友が島)、淡路島(洲本方面、淡路SA)、明石海峡大橋。
西の方向には、小豆島 が望めます。
近辺の野鳥
ムクドリ、ウグイス、メジロ、ヒバリ、ヒヨドリ、モズ、 イカル、ハクセキレイ、トビ、スズメ、カラスなど。
また サシバ の渡りのルートとなっています。
ジェームス山 山頂からの眺め (西から東へ)
白いレールは、井植邸の柵です。
記念館の庭です。
記念館です。
記念館の西側
記念館の西側から見た明石海峡大橋
小鳥たちの声が響く中、
何時間でも見とれてしまうそうな景色なのですが、
如何せん、
ベンチも何もないので・・・
いつも柵にもたれて、
おそらく20分ほど、ぼぉ~っと過ごしています・・・
(日焼けは気にしーひんよーにしてます・・・)
近辺の異人館めぐり など、
そのうちできればいいなぁと思っています。
(立ち入り禁止区域以外) (笑)
最後までお付き合いくださってありがとうございます m(_ _)m