息子の帰省と、脳卒中後遺症(高次脳機能障害のこと・父のこと) [父のこと(脳卒中の後遺症・高次脳機能障害)]
息子A が帰ってきています (笑)
シルバーウィークが終わってからの帰省ですが、
今日は、中学生時代からの友人の結婚式に出席しています。
祖父(私の父)の様態が気になるためと、
友人の結婚式のための帰省です。
昨日は、病院の、相談員さんとの話し合い(父の退院に向けて)に
一緒に出席してくれました。
娘も仕事が休みだったので、一緒でした。
優しい子どもたちに恵まれたものです
おじいちゃんの退院の相談に、同席してくれる孫なんて、
なかなかいませんよね T T
有り難いと思います
幸せだと思います
父は、いろいろと家庭的に失敗はあったかもしれませんが、
結局、こんな優しい孫たちが育っているのだから
(育てたのは私 デスガ・・・)
まぁ、良い人生といえるのではないでしょうか。
父は、もう元の施設に戻ることはできなくて、
療養型の病院に移ります。
その相談でした。
病院では、ソーシャルワーカーという人がいて、
退院後にどこの病院に移るか ということなどの相談にのってくれます。
父が脳梗塞になったときも、
脳出血に倒れたときも、
脳神経外科には3週間ほどしかいられなくて、
すぐにリハビリを中心とする病院に移りました。
そのときも、脳神経外科のソーシャルワーカーさんが、相談にのってくださいました。
あのころは、本人もまだまだ意欲があったし、
脳梗塞のあとにリハビリをしていた右の手足が、
多少なりとも動いたので、
しゃべれず、食べられずとも、
リハビリ中心の病院を選びました
そこには、名目上は半年間、入院することができます。
だから、その半年間でリハビリを極めなければなりません
小泉さんのときに、リハビリ期間が半年 にされてしまいました。
「半年間、がんばってダメならあきらめナ」
ということですが、
脳卒中のあとは、何年もかかってリハビリすべきものなのです。
5年目でやっと麻痺していた指が動いた…という人もおられます。
脳の梗塞や、出血で、使えなくなってしまった脳細胞は、
今までとは違った神経回路を使って、元の機能を取り戻そうとするのです。
その修復期間は、人によって違うし、
修復方法もそれぞれが違うため、医療関係者でさえ、予想しにくい。
政府には切り捨てられましたが、
脳は必ず再生の方向を探っています
施設での、父の隣のベッドにいらした方は、
最初、お会いしたときには声は出ませんでしたが、
そのうち、「あー」と発声できるようになり、
お話をすると「はい」と言えるまでになられていました。
車いすにも、乗ったままでしたが、
そのうち、ご自分の手で車椅子を動かすことができ、
そうして、ご自分でベッドから車いすに移乗できるようになられました。
すごいですよね
父は 「○○さんのようになりたい」 と、
手の平を○○さんに向け、挨拶を交わしていました。
でも、もうあの施設には戻れません。
医療的にしていただくことが増えてしまって、
施設では対応できないからです。
父は、今でも苦しそうで、意識も朦朧としている日が多いのですが、
数値的には退院です
それでも、やっぱり、孫が帰ってくると顔色が違います
孫2人がいくと、一所懸命、手を使って意思表示をしようとしていました
息子は、もう明日には東京に戻ります。
いつものことながら、とんぼ返りデス。
我が家の愛犬は、息子Aが帰ってきたときは、悲鳴 でした。(笑)
また、彼が東京に戻ってしまったら、凹んで落ち込んで、
どよ~んと沈み込んで、 “青菜に塩” デス。(笑)
(私も同じかも・・・)
まぁ、いつものことなんで… A^ ^;)
しばらく、愛犬とメソメソしながら(笑)、
普段の生活の多忙さの中に戻ります。
それも幸せのうち
最後まで、お読みくださってありがとうございます m(_ _)m
シルバーウィークが終わってからの帰省ですが、
今日は、中学生時代からの友人の結婚式に出席しています。
祖父(私の父)の様態が気になるためと、
友人の結婚式のための帰省です。
昨日は、病院の、相談員さんとの話し合い(父の退院に向けて)に
一緒に出席してくれました。
娘も仕事が休みだったので、一緒でした。
優しい子どもたちに恵まれたものです
おじいちゃんの退院の相談に、同席してくれる孫なんて、
なかなかいませんよね T T
有り難いと思います
幸せだと思います
父は、いろいろと家庭的に失敗はあったかもしれませんが、
結局、こんな優しい孫たちが育っているのだから
(育てたのは私 デスガ・・・)
まぁ、良い人生といえるのではないでしょうか。
父は、もう元の施設に戻ることはできなくて、
療養型の病院に移ります。
その相談でした。
病院では、ソーシャルワーカーという人がいて、
退院後にどこの病院に移るか ということなどの相談にのってくれます。
父が脳梗塞になったときも、
脳出血に倒れたときも、
脳神経外科には3週間ほどしかいられなくて、
すぐにリハビリを中心とする病院に移りました。
そのときも、脳神経外科のソーシャルワーカーさんが、相談にのってくださいました。
あのころは、本人もまだまだ意欲があったし、
脳梗塞のあとにリハビリをしていた右の手足が、
多少なりとも動いたので、
しゃべれず、食べられずとも、
リハビリ中心の病院を選びました
そこには、名目上は半年間、入院することができます。
だから、その半年間でリハビリを極めなければなりません
小泉さんのときに、リハビリ期間が半年 にされてしまいました。
「半年間、がんばってダメならあきらめナ」
ということですが、
脳卒中のあとは、何年もかかってリハビリすべきものなのです。
5年目でやっと麻痺していた指が動いた…という人もおられます。
脳の梗塞や、出血で、使えなくなってしまった脳細胞は、
今までとは違った神経回路を使って、元の機能を取り戻そうとするのです。
その修復期間は、人によって違うし、
修復方法もそれぞれが違うため、医療関係者でさえ、予想しにくい。
政府には切り捨てられましたが、
脳は必ず再生の方向を探っています
施設での、父の隣のベッドにいらした方は、
最初、お会いしたときには声は出ませんでしたが、
そのうち、「あー」と発声できるようになり、
お話をすると「はい」と言えるまでになられていました。
車いすにも、乗ったままでしたが、
そのうち、ご自分の手で車椅子を動かすことができ、
そうして、ご自分でベッドから車いすに移乗できるようになられました。
すごいですよね
父は 「○○さんのようになりたい」 と、
手の平を○○さんに向け、挨拶を交わしていました。
でも、もうあの施設には戻れません。
医療的にしていただくことが増えてしまって、
施設では対応できないからです。
父は、今でも苦しそうで、意識も朦朧としている日が多いのですが、
数値的には退院です
それでも、やっぱり、孫が帰ってくると顔色が違います
孫2人がいくと、一所懸命、手を使って意思表示をしようとしていました
息子は、もう明日には東京に戻ります。
いつものことながら、とんぼ返りデス。
我が家の愛犬は、息子Aが帰ってきたときは、悲鳴 でした。(笑)
また、彼が東京に戻ってしまったら、凹んで落ち込んで、
どよ~んと沈み込んで、 “青菜に塩” デス。(笑)
(私も同じかも・・・)
まぁ、いつものことなんで… A^ ^;)
しばらく、愛犬とメソメソしながら(笑)、
普段の生活の多忙さの中に戻ります。
それも幸せのうち
最後まで、お読みくださってありがとうございます m(_ _)m