アルバムの整理 終活としての捨てかた 私の身辺整理 [私の終焉活動]
今日はアルバムの整理をしました
昔の?分厚いアルバム。
台紙の辺のあたりが黄色に変色して、ちょっとほこりっぽく、 『 レトロ 』 なんていうステキなものではありませんでした。
で、何年か前に 整理 (かなり捨てた! ) しました。
まず、記録写真のような 全体写真 ( これは父が撮ったものに多い ) の多くを破棄しました。
「どこに我が子が写ってるの?」 というような写真です。
例えば、運動会の全体体操、運動会の朝の朝礼、組体操の出来あがり図の全体、 みたいなヤツです。
明らかに我が子が写っていないもの は、どんどん捨てました。
たまに懐かしい背景が入っていて残したものもあって残しましたけど、これだけでも相当量が減りました。
それを、今回、また引っぱり出して(一部だけですが)整理を始めたのにはワケがあります。
数か月ほど前に
「アルバムの整理をせなあかんわー。
個人別にアルバム、分けようと思てるねん 」
と口走ったところ、娘が、
「え
それって子ども3人分のアルバムを作るっていうこと
私、小さいころの写真やったら2、3枚でええよ~ 」
と言ったのでした…
え?
2、3枚…?
そして、よく考えれば、私自身、自分の写真なんてほんのちょっとしか持っていません。
実家には、父が写した写真とアルバムが、山のようにありますが、
私自身が持っているのは、父のアルバムから剥がした何枚かのみ…
その中でも、長年のうちに何枚も失くしてしまい、手元に残っているのは数えるほど。
それに、正直なところ、自分の幼いころの写真よりも、子どもたちの写真の方が大切なんです。
そのときの情景がリアルによみがえってきますもの。
ってことは、 我が子たちもそういうことになるの…? と思った次第なのです。
私の子どものころの写真は、私の両親のためのもの。
私の子どもたちの写真は、私のためにあるもの、なのでした。
そうすると、俄然、アルバム整理というものの意味が変わってきます。
だって、自分だけのためってことですもの。
私が懐かしい思いでページをめくることを考えて、自分で整理すればいいのです。
2、3枚で済むわけがありません
どれも大切な写真…
でも、 身軽になるために 整理しておかなきゃいけませんよね。
今からかなり加齢したとして、もしものことがあったときや施設に入るかもしれなくなったとき…
このアルバム全部を持って行ける はずもなく…
施設に持って行ける量 にするのが私の目標です… (笑)
懐かしい写真を見るのは 認知症の予防 にもなるらしいです。
「じゃあ、 私が見たい写真だけ残せばいい やん… 」と思いました。
今日は・・・
1992年の一部ですが、やっぱり 我が子が小さく写っているもの 、 「えーと、これって何?」と忘れているもの、 我が子にピントが合っていないもの ( いろんな意味で ) 、 写りの悪いもの ( 目をつぶっていたり、背中しか写っていなかったりするものなど ) 、 私の写真写りが悪いもの(笑) を捨てました。
3時間くらいかかりましたが、懐かしかったー
そして、捨ててしまったものは、アルバムを見返して思い出す機会もないのだから、私の記憶の中からは、きっと消えてしまうのです。
だから、記憶に残したいもの以外は捨てました。(1992年の一部のみ)
「えー
そんなん、よぉせんわー
ぜんぶ、大事やものー」
そう言ったお友だちもいましたが…
「そりゃあ、ぜんぶ大事よ、私かて 」
でも、やっぱり、できるだけ自分で整理しなきゃ…って思います。
今、ご両親の遺品整理という負担がよく問題にされています。
私も、そんなことになったら子どもたちに申し訳がないので、自分の全荷物をもうちょっとコンパクトにしたいと思っているのです。
衣類はね、だいぶ、ダンシャッたけど、日用品だけでも相当な量がありますものね。
日用品以外のものを減らさなきゃあ…
私自身の、整理なのかもしれません
終活でーす (笑)
昔の?分厚いアルバム。
台紙の辺のあたりが黄色に変色して、ちょっとほこりっぽく、 『 レトロ 』 なんていうステキなものではありませんでした。
で、何年か前に 整理 (かなり捨てた! ) しました。
まず、記録写真のような 全体写真 ( これは父が撮ったものに多い ) の多くを破棄しました。
「どこに我が子が写ってるの?」 というような写真です。
例えば、運動会の全体体操、運動会の朝の朝礼、組体操の出来あがり図の全体、 みたいなヤツです。
明らかに我が子が写っていないもの は、どんどん捨てました。
たまに懐かしい背景が入っていて残したものもあって残しましたけど、これだけでも相当量が減りました。
それを、今回、また引っぱり出して(一部だけですが)整理を始めたのにはワケがあります。
数か月ほど前に
「アルバムの整理をせなあかんわー。
個人別にアルバム、分けようと思てるねん 」
と口走ったところ、娘が、
「え
それって子ども3人分のアルバムを作るっていうこと
私、小さいころの写真やったら2、3枚でええよ~ 」
と言ったのでした…
え?
2、3枚…?
そして、よく考えれば、私自身、自分の写真なんてほんのちょっとしか持っていません。
実家には、父が写した写真とアルバムが、山のようにありますが、
私自身が持っているのは、父のアルバムから剥がした何枚かのみ…
その中でも、長年のうちに何枚も失くしてしまい、手元に残っているのは数えるほど。
それに、正直なところ、自分の幼いころの写真よりも、子どもたちの写真の方が大切なんです。
そのときの情景がリアルによみがえってきますもの。
ってことは、 我が子たちもそういうことになるの…? と思った次第なのです。
私の子どものころの写真は、私の両親のためのもの。
私の子どもたちの写真は、私のためにあるもの、なのでした。
そうすると、俄然、アルバム整理というものの意味が変わってきます。
だって、自分だけのためってことですもの。
私が懐かしい思いでページをめくることを考えて、自分で整理すればいいのです。
2、3枚で済むわけがありません
どれも大切な写真…
でも、 身軽になるために 整理しておかなきゃいけませんよね。
今からかなり加齢したとして、もしものことがあったときや施設に入るかもしれなくなったとき…
このアルバム全部を持って行ける はずもなく…
施設に持って行ける量 にするのが私の目標です… (笑)
懐かしい写真を見るのは 認知症の予防 にもなるらしいです。
「じゃあ、 私が見たい写真だけ残せばいい やん… 」と思いました。
今日は・・・
1992年の一部ですが、やっぱり 我が子が小さく写っているもの 、 「えーと、これって何?」と忘れているもの、 我が子にピントが合っていないもの ( いろんな意味で ) 、 写りの悪いもの ( 目をつぶっていたり、背中しか写っていなかったりするものなど ) 、 私の写真写りが悪いもの(笑) を捨てました。
3時間くらいかかりましたが、懐かしかったー
そして、捨ててしまったものは、アルバムを見返して思い出す機会もないのだから、私の記憶の中からは、きっと消えてしまうのです。
だから、記憶に残したいもの以外は捨てました。(1992年の一部のみ)
「えー
そんなん、よぉせんわー
ぜんぶ、大事やものー」
そう言ったお友だちもいましたが…
「そりゃあ、ぜんぶ大事よ、私かて 」
でも、やっぱり、できるだけ自分で整理しなきゃ…って思います。
今、ご両親の遺品整理という負担がよく問題にされています。
私も、そんなことになったら子どもたちに申し訳がないので、自分の全荷物をもうちょっとコンパクトにしたいと思っているのです。
衣類はね、だいぶ、ダンシャッたけど、日用品だけでも相当な量がありますものね。
日用品以外のものを減らさなきゃあ…
私自身の、整理なのかもしれません
終活でーす (笑)