忘れられない写真(1) [心に残る風景]
皆さま、こんばんは
いきなり涼しくなりましたね
今日はエアコンを使っていません。
久しぶりデス
今年は、いきなり秋が来るのかなぁ・・・
今日は、思い切った写真を公開します
もう20年くらい前の子ども達です
胸が、キュンと締めつけられるほど、
今でも、
大切な子ども達です。
これは実家の門の前。
盆踊りに行こうとしているとき。
ひとりで3人の子どもを育てるって、
想像を超えるほどのことでした
子ども達は、いい子ばかりだったのに、
私の諸能力が足りなくて、
ほんとうに、ほんとうに大変だった時期でした。
めちゃくちゃなおかあさんでごめんね。
もっと自分に余裕があったら、
もっと違ったおかあさんでいられたと思います。
そう考えると、今でも泣けてしまいます。
それと、私の原点となる写真。
これは、息子Bが8歳のお誕生日を迎えた日の写真です。
勤め先で意地悪されて、
息子Bのお誕生日なのに、
帰宅する予定の時間に、
ふと見ると、
今日中に終えなければならない残業が、いきなり山積み・・・
仕事が終わると、ケーキ屋さんはどこも閉まってる時間でした
駅で電車を待ってる間、
涙がぽろぽろこぼれました
家に帰ると、10時半を過ぎていました。
子ども達は夕飯も食べずに、
3人で無邪気に 私の帰りを待っていました。
だって、お誕生日だったんですもの。
その頃は、ファミレスもあまりなくって、
不二家しか開いていなかった・・・。
不二家だったらケーキもあるだろうと思い、
大急ぎで不二家に行きました。
着いたら、もう11時ごろ。
子ども連れなんて、私達だけ。
ほんと、子ども達に申し訳なくて、
悲しくて、辛くて、泣きそうだった・・・。
(今も思い出して泣いています)(えへ)
で、ウエイトレスの人に、
お食事と食後のケーキを頼むと、
「どなたか、お誕生日ですか?」
「ええ、(息子B)の誕生日なんです」
そしたら、8本のろうそくのついた、ペコちゃんケーキが出てきて、
店内にハッピバースデーの曲が流れました
そして店内放送
「○○クンが8才のお誕生日を迎えられました。
皆さま、拍手でお祝いください。
○○クン、お誕生日、おめでとう」
店内にいた見知らぬ大人の人たち全員が、
私達のほうを向いて、
「おめでとう」 と言いながら、
にこにこと拍手をしてくださいました。
私は、こらえきれずに号泣してしまいました。
これは、そのときに、ウエイトレスさんが撮ってくれたポラロイドの写真です。
号泣してた私は、
一緒に写ることができませんでした(笑)
私の原点。
今でも、見る度に涙が出ます。
この日以来、
私の人生に 根性が入りました(笑)
どんなことをしても、子ども達を守っていく
子ども達を守るのは、私しかいない
そのままの勢いで、数年前まで生きてきました
この写真は、私の原点、宝物です
法律でさえ、
学校でさえ、
能動的に主張するものしか守ってくれません。
五臓六腑が煮えたぎるほど、
世間は冷たかったです。
PTAでは、
同じお母さん同士のはずなのに、
(その頃は田舎に住んでいました)
専業主婦と同じように活動をすることを強要され、
「みんな、してることやからね」
私はパートにならざるを得ませんでした。
「それが当然」 との扱いを受けました。
それが、ひとり親の家庭で、どういうことを意味するか・・・
田舎だったから、働いている女性は少なかったからね・・・
OLなんていないしね・・・
キャリアなんて関係ない世界だったものね・・・
狭い世間しか知らない人たちからの、
想像力、共感能力の欠如による辛酸を経験しました。
今なら百万馬力で跳ね返せるケド。(笑)
仕方なく、パートをいくつも掛け持ちしました。
ほんとに辛かった時期です・・・
ただ、そのころ培った経験が、
後に、管理職として、
総合職についたとき、大いに役立ってくれたので・・・
(営業、企画、人事、総務、経理、データ解析、生産技術、品質管理、PC資格各種などなどなど・・・)
まぁ・・・
辛酸は、のちには糧になるということですね
いつも、子ども達は私の支えでした。
子ども達がいたから、私は生きて来られたと思います。
なんで、こんな話を記事にしたくなったんだろー
もう、全身脱力をしてもいいくらい、
子ども達が大きくなったからですよね~
私は、今、大人になった子ども達の姿を見ていて、
とっても幸せです
全身脱力してま~す
し過ぎくらい・・・(笑)
子ども達は、そのままでいい。
いてくれるだけでいい。
相変わらず、
子ども達の存在は、私の支えです。
そして、私のすべてです。
最後までお読みくださって、ありがとうございました m(_ _)m
忘れられない写真、
次回もちょっと恥ずかしいけど・・・ 続きます
いきなり涼しくなりましたね
今日はエアコンを使っていません。
久しぶりデス
今年は、いきなり秋が来るのかなぁ・・・
今日は、思い切った写真を公開します
もう20年くらい前の子ども達です
胸が、キュンと締めつけられるほど、
今でも、
大切な子ども達です。
これは実家の門の前。
盆踊りに行こうとしているとき。
ひとりで3人の子どもを育てるって、
想像を超えるほどのことでした
子ども達は、いい子ばかりだったのに、
私の諸能力が足りなくて、
ほんとうに、ほんとうに大変だった時期でした。
めちゃくちゃなおかあさんでごめんね。
もっと自分に余裕があったら、
もっと違ったおかあさんでいられたと思います。
そう考えると、今でも泣けてしまいます。
それと、私の原点となる写真。
これは、息子Bが8歳のお誕生日を迎えた日の写真です。
勤め先で意地悪されて、
息子Bのお誕生日なのに、
帰宅する予定の時間に、
ふと見ると、
今日中に終えなければならない残業が、いきなり山積み・・・
仕事が終わると、ケーキ屋さんはどこも閉まってる時間でした
駅で電車を待ってる間、
涙がぽろぽろこぼれました
家に帰ると、10時半を過ぎていました。
子ども達は夕飯も食べずに、
3人で無邪気に 私の帰りを待っていました。
だって、お誕生日だったんですもの。
その頃は、ファミレスもあまりなくって、
不二家しか開いていなかった・・・。
不二家だったらケーキもあるだろうと思い、
大急ぎで不二家に行きました。
着いたら、もう11時ごろ。
子ども連れなんて、私達だけ。
ほんと、子ども達に申し訳なくて、
悲しくて、辛くて、泣きそうだった・・・。
(今も思い出して泣いています)(えへ)
で、ウエイトレスの人に、
お食事と食後のケーキを頼むと、
「どなたか、お誕生日ですか?」
「ええ、(息子B)の誕生日なんです」
そしたら、8本のろうそくのついた、ペコちゃんケーキが出てきて、
店内にハッピバースデーの曲が流れました
そして店内放送
「○○クンが8才のお誕生日を迎えられました。
皆さま、拍手でお祝いください。
○○クン、お誕生日、おめでとう」
店内にいた見知らぬ大人の人たち全員が、
私達のほうを向いて、
「おめでとう」 と言いながら、
にこにこと拍手をしてくださいました。
私は、こらえきれずに号泣してしまいました。
これは、そのときに、ウエイトレスさんが撮ってくれたポラロイドの写真です。
号泣してた私は、
一緒に写ることができませんでした(笑)
私の原点。
今でも、見る度に涙が出ます。
この日以来、
私の人生に 根性が入りました(笑)
どんなことをしても、子ども達を守っていく
子ども達を守るのは、私しかいない
そのままの勢いで、数年前まで生きてきました
この写真は、私の原点、宝物です
法律でさえ、
学校でさえ、
能動的に主張するものしか守ってくれません。
五臓六腑が煮えたぎるほど、
世間は冷たかったです。
PTAでは、
同じお母さん同士のはずなのに、
(その頃は田舎に住んでいました)
専業主婦と同じように活動をすることを強要され、
「みんな、してることやからね」
私はパートにならざるを得ませんでした。
「それが当然」 との扱いを受けました。
それが、ひとり親の家庭で、どういうことを意味するか・・・
田舎だったから、働いている女性は少なかったからね・・・
OLなんていないしね・・・
キャリアなんて関係ない世界だったものね・・・
狭い世間しか知らない人たちからの、
想像力、共感能力の欠如による辛酸を経験しました。
今なら百万馬力で跳ね返せるケド。(笑)
仕方なく、パートをいくつも掛け持ちしました。
ほんとに辛かった時期です・・・
ただ、そのころ培った経験が、
後に、管理職として、
総合職についたとき、大いに役立ってくれたので・・・
(営業、企画、人事、総務、経理、データ解析、生産技術、品質管理、PC資格各種などなどなど・・・)
まぁ・・・
辛酸は、のちには糧になるということですね
いつも、子ども達は私の支えでした。
子ども達がいたから、私は生きて来られたと思います。
なんで、こんな話を記事にしたくなったんだろー
もう、全身脱力をしてもいいくらい、
子ども達が大きくなったからですよね~
私は、今、大人になった子ども達の姿を見ていて、
とっても幸せです
全身脱力してま~す
し過ぎくらい・・・(笑)
子ども達は、そのままでいい。
いてくれるだけでいい。
相変わらず、
子ども達の存在は、私の支えです。
そして、私のすべてです。
最後までお読みくださって、ありがとうございました m(_ _)m
忘れられない写真、
次回もちょっと恥ずかしいけど・・・ 続きます