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父のこと [父のこと(脳卒中の後遺症・高次脳機能障害)]

皆さま、こんばんは[わーい(嬉しい顔)]

暑い日が続きます[晴れ]
今日は、土用の丑の日。 ~~~~:)  うなぎ(笑)
うなぎは召されましたか?

うなぎを食べた人は全体の46%ということですが、
では、54%、半数以上の人が、
うなぎは食べなかったということですね。
私もそのうちのひとりです。^^;

だって高過ぎる・・・[たらーっ(汗)](笑)

うなぎは冬が旬だそうで、
冬に値下がりしたときに、
夏の分まで食べます(笑)


で、今日は、父のこと。

前回の記事に、
たくさんのナイスをありがとうございます。
ほんとうに・・・
感謝しています。

一度にはムリかもしれませんが、
皆さまのブログを訪問させていただきます。
今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

で、
またしても、父のことなんですが、
ちょっと書いておきたいので・・・
すみません[あせあせ(飛び散る汗)]



息を引き取る4日前に記したノートから~~~~~


「今夜かもしれない」
当直のナースにそう言われた。

人にはいろんな感情があって、
一概に、ただ「悲しい」とは言い難い。

父を失うことは、もちろん悲しい。
とてもとても悲しい。

でも・・・


倒れてから今日までのことを考える・・・

リハビリ病院でリハビリをした後、
リハビリというものに理解のない母と弟に
実家で半年間、寝かされっぱなしにされる。

せっかく半年間がんばったリハビリの成果は、
その間に、
すっかり失われてしまった。
いや、もっとひどい状態になってしまった。

その後、やっと施設に入り、
またリハビリに励む。

度々 肺炎を起こしては寝込み、
せっかく得た機能がまた失われてしまう。
あの年齢だし、麻痺もキツいことから、
次はゼロからの出発ではなくて、
かなりのマイナスから出発することになる。

それを何度も繰り返し、
見守るほうが悲しくなるくらい
前を向いて努力した。
努力し続けた。

父のようになってしまったら、
前を向くだけでも大変なことだと思う。

でも、ついに昨年の夏、
敗血症性ショックで入院。
3日ももたないと言われた。

なんとか持ち直したものの、
寝込んだ3か月間で、
とうとう車椅子に移乗することも困難になってしまい、
かろうじて少しは動いていた右手の機能もほぼ失ってしまう。


動けない父は、
療養病棟に移されてしまう。
ここは、死を待つ人々の居場所だった。
現在の医療体制では、そう決められている。
でも、父以外は、
ほとんどが意識のない人たちだった。

人が物のよう。
そこで、父は、また寝るだけの日々を送ることになる・・・

時間が来ると機械的に
体位変換をされるだけ。
あっという間にジョクソウ(床ずれ)ができた。

ジョクソウは体を蝕み、
ジョクソウ周辺は、細胞が壊死してしまう。

私は必死の思いで駆け回ってやっと、
今の病院に救い出してもらうことが出来た。

この病院では、
いくら敗血症で先が短くても、
人らしい毎日を送らせてもらえる。

とりあえず、車椅子に移乗してもらったり、
TVを見せてもらったりすることができた。

得意の毛筆の練習もし始めた。

父の希望で、ふくちんにも何度か会うことができた。

人として生きることが出来た、と思う。

ほっとした・・・


敗血症とは、細菌感染症が全身に波及したもので、
父は、ショック症状から一命はとりとめたものの、
全身性の炎症と、多機能不全(各内臓の炎症)に陥っていた。

この春から、
車椅子移乗もままらなぬほど、
しんどそうで、しんどそうで、
苦しんで、苦しんで、
ただただそれを耐え続けた。

そして、少しでも手足を動かそうと努力し続けた。

普通なら、身がよじれるほどの苦しさだというのに。

それが「今夜かもしれない」という。


父が逝ってしまうのは、ストレートに悲しい。
その存在だけで、
当然としての支えになっているのが親ではないか。
父がいなくなることが、
私の土台を揺るがすことは明白だ。

おまけに母と弟。
葬儀などのことで、コンタクトをとらなければならない。
こんなストレスフルなことは他にないほどに、
考えただけで震えがくる。
めまいがする。
倒れそうになる。


でも、通り抜けないわけにはいかぬ。
火の輪をくぐり抜けるがごとく、
怒涛のように一気に片をつけてやる。
あえぐのは一瞬でいい。
私は父のように強くない。


父は、最後の最後まで、
ねをあげず、
努力の人だった。
立派だったと、心から思う。

動けないのに、
しゃべれないのに、
カッコ良すぎるじゃん・・・


苦しみから、もう解放されてもいいんじゃないか。
不自由な肉体から解き放ってあげたい。

・・・と、
父の最期のこん身の努力を蹴っとばすようなことを
この娘は思う。

「また君はそういう言い方をする。
 そういう言い方をすると身も蓋もないじゃないか」
子どものころ、
私が感情的になると、そう言ってた父。


おとうさん、ありがとう。
あなたの生き様は、私たちの脳裏に焼きついています。
きっと、きっと忘れないよ。

『懸命に努力して生きること』が生きること。

「人生の何を良しとするか?」
父がリハビリ病院で書いていた言葉。

コレに対する父の答えは、
『懸命に努力して生きること』が生きること、だったのだろう。

有限実行。
体現してみせた。

わかったよ、がんばるよ。
見ててよね。
今まで可愛がってたペット達と一緒に、
虹の橋の向こうから!

そして、
32才の若さで逝ったおかあさんが、
きっと迎えに来てくれるよ。


「どうちたの?」
と、のぞき込むふくちんに
「おじいちゃんがね、死んじゃうの」 と話したら、
涙がとまらなくなってしまった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



そして、この後、
病院で 「伝説に残る」 と言われるほど、
がんばり続けた父です。



あー[exclamation×2]
あまりに長くなり過ぎて・・・[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]

書きたかったおまけの話が、
書けなくなってしまいました[ふらふら]

父とふくちんの最後の面会の話です。

それは、また次回に・・・。


なっが~い話、
最後までお読みくださって、
ほんとうにありがとうございました m(_ _)m








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