再び灘の話(白内障で入院) [ひねもす日記]
皆さま、こんばんは
いつもご心配をお掛けしているまりりんです・・・。
すみません・・・
実は、ときどきお手伝いに行っている灘の先輩が、
ちょうど、娘の入院と同じ時期に入院しています。
去年から「目が見えにくい」と言うたはったんですが、
実は白内障だったんです
まだ年齢的に若いため、
誰も、白内障だなんて、気がつきませんでした。
それが分かったのが先月。
娘の入院、手術、に続いて、
先輩も入院、手術、とあいなり、
せわしいことになってしまいました
白内障は、日帰り手術が多いですが、
先輩は、脳出血の後遺症で眼振があり、
目薬をさすのも不自由なので、
入院していただくことになりました。
まぁ、先輩の場合は、白内障なので、
手術としては、大したことはない・・・
とタカをくくっていたのですが、
ここだけの話、
先輩は超が就くほどのレベルのびびりん・・・;
あれで、よく脳出血を超えられたなぁと思うのですが、
脳出血より、
白内障の手術の方がよほど怖いらしい・・・
で、あちこち行かなければならないハメに・・・
娘は、
「おかあさんが疲れるから私のところへは来なくていい」
と言ってくれています。
いやいや、それは本末転倒やからね
それに、まぁ、
実は、娘の顔を見た方が安心するのですよね・・・
LINEで、息子からも、
姉が心配しとぉから病院に毎日通うのはやめておくように
との連絡が入りました。
う~む・・・
子ども達の連係プレイだナ(笑)
娘の退院も、さっき決まったので、
私の面会通院はお休みすることにしました
老いては子に従え・・・ というよりも、
子どもの意見も尊重し
私が倒れないように気をつけるのは私の責任だっちゃ
で、灘です。
前にもアップしたことがありますが、
神功皇后(じんぐうこうごう)の遺跡があります。
これは、駅前の沢の井。
駅の南側の小さな路地に入ると、
沢の井の由来
神功皇后芦屋の浜より
御船をお出しになられた際、
住吉大神を勧請せられて
征途の平安を御祈りになった後
がいせんご参拝の際
この泉の水をお化粧に召されたのに
皇后の御姿があざやかにうつしだされた。
これが御影の名の起源だといい伝えられている。
その後、いつのころからか、
この霊泉を沢の井と称し、
里人がくむようになった。
後醍醐天皇の御時
この泉の水で美酒を醸し
これを献上した
天皇 深くご喜納あらせられたので
無上の栄誉とし
喜納をもって氏族の名とした
と伝えられている。
いまもなお、
この泉は絶えることなく
清澄の水こんこんとしてわき
永遠にかれぬ霊泉である
というのが、右の文字群。
左には・・・
沢の井の池は、
昔 自然のままのものが昭和十年代
第二次世界大戦中に防火用水池として造りかえられた
平成七年一月十七日
阪神淡路大震災に依り
決壊したために
現役員に依り
現状に改修したものである。
平成九年五月吉日
と書かれています。
阪神電車の高架下に
ひっそりと泉が湧いています。
地元の人でも、気がつかない人は多いんやないかしら・・・。
御影石に映った模様が面白いので撮りました
商店街の入り口の石屋さんに
石のガンダムが置いてありました^m^
ひとりで、クラッセの風月堂に入り、
休憩をしました。
もうヘロヘロでしたもの。
奮発して、特選あんみつ(笑)
栗が苺に隠れています
あッ
という間に完食
食べ終わったら、お茶とお昆布が出てきました
バタバタした疲れが取れるようです・・・
風月堂の中の椿です。
もちろん、本物ではありませんが、
とても華やかでした。
先輩の病室からの眺め
残念ながら、白内障の先輩は見ることができません
帰りに、
神戸三宮の東急ハンズに寄りました。
(気分転換のため)
ハンズは大好きで、
1日中でも、うろうろして、時間を過ごせます。
ペンと手芸品とわんこのおもちゃを買いました
疲れて帰ってきたら、
めちゃ食べますね~
しっかり食べたら、
お風呂で温まって、
ぐっすり寝る
めまいがひどくなったら困るので、
この3つは、最近の私の鉄則です
最後までお付き合いくださってありがとうございます
文中にあるように、娘の退院が決まりました
最短です
ご心配をお掛けした皆さま、
一応、ひと段落です。
あとは経過観察のみとなります。
温かいご支援をいただいて、どうもありがとうございました。m(_ _)m
いつもご心配をお掛けしているまりりんです・・・。
すみません・・・
実は、ときどきお手伝いに行っている灘の先輩が、
ちょうど、娘の入院と同じ時期に入院しています。
去年から「目が見えにくい」と言うたはったんですが、
実は白内障だったんです
まだ年齢的に若いため、
誰も、白内障だなんて、気がつきませんでした。
それが分かったのが先月。
娘の入院、手術、に続いて、
先輩も入院、手術、とあいなり、
せわしいことになってしまいました
白内障は、日帰り手術が多いですが、
先輩は、脳出血の後遺症で眼振があり、
目薬をさすのも不自由なので、
入院していただくことになりました。
まぁ、先輩の場合は、白内障なので、
手術としては、大したことはない・・・
とタカをくくっていたのですが、
ここだけの話、
先輩は超が就くほどのレベルのびびりん・・・;
あれで、よく脳出血を超えられたなぁと思うのですが、
脳出血より、
白内障の手術の方がよほど怖いらしい・・・
で、あちこち行かなければならないハメに・・・
娘は、
「おかあさんが疲れるから私のところへは来なくていい」
と言ってくれています。
いやいや、それは本末転倒やからね
それに、まぁ、
実は、娘の顔を見た方が安心するのですよね・・・
LINEで、息子からも、
姉が心配しとぉから病院に毎日通うのはやめておくように
との連絡が入りました。
う~む・・・
子ども達の連係プレイだナ(笑)
娘の退院も、さっき決まったので、
私の面会通院はお休みすることにしました
老いては子に従え・・・ というよりも、
子どもの意見も尊重し
私が倒れないように気をつけるのは私の責任だっちゃ
で、灘です。
前にもアップしたことがありますが、
神功皇后(じんぐうこうごう)の遺跡があります。
これは、駅前の沢の井。
駅の南側の小さな路地に入ると、
沢の井の由来
神功皇后芦屋の浜より
御船をお出しになられた際、
住吉大神を勧請せられて
征途の平安を御祈りになった後
がいせんご参拝の際
この泉の水をお化粧に召されたのに
皇后の御姿があざやかにうつしだされた。
これが御影の名の起源だといい伝えられている。
その後、いつのころからか、
この霊泉を沢の井と称し、
里人がくむようになった。
後醍醐天皇の御時
この泉の水で美酒を醸し
これを献上した
天皇 深くご喜納あらせられたので
無上の栄誉とし
喜納をもって氏族の名とした
と伝えられている。
いまもなお、
この泉は絶えることなく
清澄の水こんこんとしてわき
永遠にかれぬ霊泉である
というのが、右の文字群。
左には・・・
沢の井の池は、
昔 自然のままのものが昭和十年代
第二次世界大戦中に防火用水池として造りかえられた
平成七年一月十七日
阪神淡路大震災に依り
決壊したために
現役員に依り
現状に改修したものである。
平成九年五月吉日
と書かれています。
阪神電車の高架下に
ひっそりと泉が湧いています。
地元の人でも、気がつかない人は多いんやないかしら・・・。
御影石に映った模様が面白いので撮りました
商店街の入り口の石屋さんに
石のガンダムが置いてありました^m^
ひとりで、クラッセの風月堂に入り、
休憩をしました。
もうヘロヘロでしたもの。
奮発して、特選あんみつ(笑)
栗が苺に隠れています
あッ
という間に完食
食べ終わったら、お茶とお昆布が出てきました
バタバタした疲れが取れるようです・・・
風月堂の中の椿です。
もちろん、本物ではありませんが、
とても華やかでした。
先輩の病室からの眺め
残念ながら、白内障の先輩は見ることができません
帰りに、
神戸三宮の東急ハンズに寄りました。
(気分転換のため)
ハンズは大好きで、
1日中でも、うろうろして、時間を過ごせます。
ペンと手芸品とわんこのおもちゃを買いました
疲れて帰ってきたら、
めちゃ食べますね~
しっかり食べたら、
お風呂で温まって、
ぐっすり寝る
めまいがひどくなったら困るので、
この3つは、最近の私の鉄則です
最後までお付き合いくださってありがとうございます
文中にあるように、娘の退院が決まりました
最短です
ご心配をお掛けした皆さま、
一応、ひと段落です。
あとは経過観察のみとなります。
温かいご支援をいただいて、どうもありがとうございました。m(_ _)m