母という病 家族問題 [ひねもす日記]
母という病
この本を読んだのは、ずいぶん前(3年ほど?)ですが、
意外な友人も読んでいたので、びっくりしたことがあります。
家族という名の下に
巷にあふれる悲惨なニュースに、胸をかきむしられます。
それで、
といってはナンですが、
今日は、母と私のことを書こうと思います。
肉親に恵まれた人に、分かってもらえるとは思っていません。
まぁ、でも、私なりに、
半世紀かかって越えてきたものがあるので、
親との関係性をうまく保てないという、
少数の人の役に立てれば幸いかナ・・・と思って書きます
動物の実験で、
過保護にされたサルは、子どもができても、子どもをかわいがることができない、
もしくは、育児を放棄してしまい(ネグレクト)、育てることができない、
という事実が分かっています。
私が大学で学んでいたころには、既に心理学の常識でした。
普通は、逆を考えるでしょう?
でもね、ちがうんです。問題は、か、ほ、ご。
本来は子どもが負うべきものを、
可愛さ余った親が、
子どもに負荷をかけないようにサポート(もしくは身代わり・防御)してしまうことです。
私は、このことを教えてもらっただけでも、進学した意味があると思いました。
母だけのセイじゃないと思えて、少しラクになったんですもの。
このころ、飼っていた犬が、子どもを産みました。
私は、上記の実験結果のことを思い、
「我が愛犬は子どもを育てることはできないだろう」 と危惧していました。
だって、私、彼女を溺愛してましたから。(笑)
なのに、彼女はちゃんと育てましたよ。
だから、私の『溺愛』は、『過保護』には入らないと確信が持てました。
愛情が深いのと、過保護とは違うものだと、
証明できたように思えたのです。
とてもほっとしたことを憶えています・・・。
私が母に与えてもらえなかったものは、
今、子どもたちや、周囲の親戚や友人たちから、
溢れんばかりに頂いています。
笑っちゃいますけど、
幼いころは、『みにくいあひるの子』を心の支えに (笑)
『シンデレラ』を一筋の希望として(爆)
孤独に暮らしていた女の子でした。
( 魔法使いは現れませんでしたが、その後、彼女は幸せなおかあさんになりました )
( 魔法使いが現れなかったために、シンデレラはそのまま老いてしまいました )(笑) T T
母は、羨ましかったんだと思います。
どこへ行っても、親戚、ご近所、誰にでも可愛がられる地味な娘。
きらびやかなのに、人から好かれない自分。
だから、私の悪口を、周囲に吹聴してまわったり、
私が孤独で居るように努力してました。
あぁ、それは、自分の心の闇を映す鏡だったのに
( これをダークサイドというんだね・・・)(<スターウォーズより・・・)
母が嫉妬すればするほど、
私はますます惨めで控えめな子になり、
『みにくいあひるの子』と『シンデレラ』をお守りにして(笑)
明るく前を向いて、一所懸命、生きる人になりました。
( がむしゃらなところは、このときに会得した習性と思われます)(笑)
( 私の『負けない精神』は運命に対して、で、他人に対して虚栄することはありません)
( 母のお陰で、他人に対する虚栄心が、実は外からは丸見えで、如何につまんないものであるか、如何に見苦しいものであるか を 幼いころからよく知っているからです )
でも、母が私の足を引っ張ることができたのは、小学生まで。
中学では、転校したし、
親が学校と関わる機会が激減したため、
私は人気者に・・・???(笑)
母としては、かなり不本意だったでしょう。
ただし、母は先生方から嫌われていたので、
私は、対 先生方には、かなり肩身の狭い思いをする羽目になりましたが・・・ (;∇;)
ただ、私は母のそばで、母の苦悩も見てきました。
母は、母なりに苦悩していました。
自分の非は、絶対に認めない。
自分の強力な勝気さに振り回され、心のコントロールが効かない。
そうなると、冷静に、理性的に判断できない。
「世が世であれば… 私を何様だと思ってるの」
( いやいや、皇室関係でも華族でもありませんから・・・)(笑)
でも、事実上、もうまったくの、我儘な御姫様
まぁ、母は、直ぐに立ち直るし、
自分の非は、すぐに誤魔化してうやむやにするという特技を持ち合わせていました。
私も、少しはそういうトコロにアヤカリタイと思うのですが、
なかなか、うまくはいきません (笑)
母のストッパーを、父が受け持っていたと思います
母は、もう高齢で認知症もかなり進み、
父が病院で動けない今、
母のストッパーが全部、外れてしまいました
私は、母から離れてひとりで歩きはじめると、
他人さまから疎んじられることは なくなりました。
私は友人にも恵まれているし、
親戚の人たちにも可愛がられてきました。
ちやほやされても、もともとの自己評価が低いため(笑)、
自惚れることもありませんでした。
これは、ほんとうに、母のお陰なんです
考えようによっては、
母は身を挺して、
私が生きていく道を開いてくれたのかもしれません。
( 融通が利かないトコロなんぞは、父からしっかり受け継いでおりますが)
そして、母に疎まれ続けた私は、母から離れることができましたが、
母に溺愛された弟は、まったく母と瓜ふたつ・・・
しかも、母から離れられなくなってしまいました。
人として生きていく術は、親の姿から学ぶものですものね・・・。
公的な医療機関に相談に行ったこともありますが、
母も弟も、精神疾患には相当しないと言われました。
「性格なんじゃないですか?」
母は高齢による脳の委縮のせいだと・・・。
それを聞いた私は、心底ほっとしたのと、
そして、がっかりしたのと・・・。
精神疾患ではないということは、
公的な支援が受けられないということだからです。
「距離を置きなさい。
あなたが壊れてしまう」
とも言われてしまいました・・・。
切ないのは、
母が私に嫉妬してもしなくても、
母のきらびやかさは失われなかったと思うこと。
私ののんびり&ふんにゃりと、母は共存できたと思うこと。
まぁ、今更 言っても遅いですケドね(汗) ヽ(´Д`*)
母というもの、父というものは、
本能のまま、オートでなれるものではなく、
やはり、努力と工夫で学習していくものだと思います。
それも、24時間営業の、無休無給で。
それを超えずして、親にはなれませんよね。
そして、そこを超えた親の強さとは、
我がことよりも大切な存在がいること。
自分の命よりも、大切な存在がいること。
そして、その存在は、自分とは別の人格であり、
自らの人生を歩んでいく存在であることを認めること。
我が子の未来を信じることができること。
その子のために祈る使命を天から授かりしこと。
そこまで乗り越えてこその、親の強さだと思います。
だから、私は強いです。 └(*`⌒´*)┘
(そういう意味で、だけ、ですが・・・)(笑)
でも、母には、その強さがありません。
強がりばかり言い張っているけれど、
哀しいほどに、母は弱い。
子どもですら、信じることができないのですもの。
結局、一番、孤独だったのは、母でした。
母が、かつて、憧れた宝塚の、
“すみれの花 咲くころ“ を聞くと、
きらびやかだった母の思い出と、
疎まれても疎まれても、母を慕っていた自分自身を思い出し、
胸が詰まります。
今は、干からびて、疎まれて、
意地悪で依怙地でコンジョ悪の権化のようになっていますけど、
母にも若かった頃があって、夢があって、憧れがあった・・・
“すみれの花 咲くころ“ を歌っていたころがありました・・・
私がそれを知っているということが、
今の私の救いです。
そして、それが、私の、
母への愛だと思っています。
最後まで、へんちくちんな話にお付き合いくださってありがとうございます m(_ _)m
この本を読んだのは、ずいぶん前(3年ほど?)ですが、
意外な友人も読んでいたので、びっくりしたことがあります。
家族という名の下に
巷にあふれる悲惨なニュースに、胸をかきむしられます。
それで、
といってはナンですが、
今日は、母と私のことを書こうと思います。
肉親に恵まれた人に、分かってもらえるとは思っていません。
まぁ、でも、私なりに、
半世紀かかって越えてきたものがあるので、
親との関係性をうまく保てないという、
少数の人の役に立てれば幸いかナ・・・と思って書きます
動物の実験で、
過保護にされたサルは、子どもができても、子どもをかわいがることができない、
もしくは、育児を放棄してしまい(ネグレクト)、育てることができない、
という事実が分かっています。
私が大学で学んでいたころには、既に心理学の常識でした。
普通は、逆を考えるでしょう?
でもね、ちがうんです。問題は、か、ほ、ご。
本来は子どもが負うべきものを、
可愛さ余った親が、
子どもに負荷をかけないようにサポート(もしくは身代わり・防御)してしまうことです。
私は、このことを教えてもらっただけでも、進学した意味があると思いました。
母だけのセイじゃないと思えて、少しラクになったんですもの。
このころ、飼っていた犬が、子どもを産みました。
私は、上記の実験結果のことを思い、
「我が愛犬は子どもを育てることはできないだろう」 と危惧していました。
だって、私、彼女を溺愛してましたから。(笑)
なのに、彼女はちゃんと育てましたよ。
だから、私の『溺愛』は、『過保護』には入らないと確信が持てました。
愛情が深いのと、過保護とは違うものだと、
証明できたように思えたのです。
とてもほっとしたことを憶えています・・・。
私が母に与えてもらえなかったものは、
今、子どもたちや、周囲の親戚や友人たちから、
溢れんばかりに頂いています。
笑っちゃいますけど、
幼いころは、『みにくいあひるの子』を心の支えに (笑)
『シンデレラ』を一筋の希望として(爆)
孤独に暮らしていた女の子でした。
( 魔法使いは現れませんでしたが、その後、彼女は幸せなおかあさんになりました )
( 魔法使いが現れなかったために、シンデレラはそのまま老いてしまいました )(笑) T T
母は、羨ましかったんだと思います。
どこへ行っても、親戚、ご近所、誰にでも可愛がられる地味な娘。
きらびやかなのに、人から好かれない自分。
だから、私の悪口を、周囲に吹聴してまわったり、
私が孤独で居るように努力してました。
あぁ、それは、自分の心の闇を映す鏡だったのに
( これをダークサイドというんだね・・・)(<スターウォーズより・・・)
母が嫉妬すればするほど、
私はますます惨めで控えめな子になり、
『みにくいあひるの子』と『シンデレラ』をお守りにして(笑)
明るく前を向いて、一所懸命、生きる人になりました。
( がむしゃらなところは、このときに会得した習性と思われます)(笑)
( 私の『負けない精神』は運命に対して、で、他人に対して虚栄することはありません)
( 母のお陰で、他人に対する虚栄心が、実は外からは丸見えで、如何につまんないものであるか、如何に見苦しいものであるか を 幼いころからよく知っているからです )
でも、母が私の足を引っ張ることができたのは、小学生まで。
中学では、転校したし、
親が学校と関わる機会が激減したため、
私は人気者に・・・???(笑)
母としては、かなり不本意だったでしょう。
ただし、母は先生方から嫌われていたので、
私は、対 先生方には、かなり肩身の狭い思いをする羽目になりましたが・・・ (;∇;)
ただ、私は母のそばで、母の苦悩も見てきました。
母は、母なりに苦悩していました。
自分の非は、絶対に認めない。
自分の強力な勝気さに振り回され、心のコントロールが効かない。
そうなると、冷静に、理性的に判断できない。
「世が世であれば… 私を何様だと思ってるの」
( いやいや、皇室関係でも華族でもありませんから・・・)(笑)
でも、事実上、もうまったくの、我儘な御姫様
まぁ、母は、直ぐに立ち直るし、
自分の非は、すぐに誤魔化してうやむやにするという特技を持ち合わせていました。
私も、少しはそういうトコロにアヤカリタイと思うのですが、
なかなか、うまくはいきません (笑)
母のストッパーを、父が受け持っていたと思います
母は、もう高齢で認知症もかなり進み、
父が病院で動けない今、
母のストッパーが全部、外れてしまいました
私は、母から離れてひとりで歩きはじめると、
他人さまから疎んじられることは なくなりました。
私は友人にも恵まれているし、
親戚の人たちにも可愛がられてきました。
ちやほやされても、もともとの自己評価が低いため(笑)、
自惚れることもありませんでした。
これは、ほんとうに、母のお陰なんです
考えようによっては、
母は身を挺して、
私が生きていく道を開いてくれたのかもしれません。
( 融通が利かないトコロなんぞは、父からしっかり受け継いでおりますが)
そして、母に疎まれ続けた私は、母から離れることができましたが、
母に溺愛された弟は、まったく母と瓜ふたつ・・・
しかも、母から離れられなくなってしまいました。
人として生きていく術は、親の姿から学ぶものですものね・・・。
公的な医療機関に相談に行ったこともありますが、
母も弟も、精神疾患には相当しないと言われました。
「性格なんじゃないですか?」
母は高齢による脳の委縮のせいだと・・・。
それを聞いた私は、心底ほっとしたのと、
そして、がっかりしたのと・・・。
精神疾患ではないということは、
公的な支援が受けられないということだからです。
「距離を置きなさい。
あなたが壊れてしまう」
とも言われてしまいました・・・。
切ないのは、
母が私に嫉妬してもしなくても、
母のきらびやかさは失われなかったと思うこと。
私ののんびり&ふんにゃりと、母は共存できたと思うこと。
まぁ、今更 言っても遅いですケドね(汗) ヽ(´Д`*)
母というもの、父というものは、
本能のまま、オートでなれるものではなく、
やはり、努力と工夫で学習していくものだと思います。
それも、24時間営業の、無休無給で。
それを超えずして、親にはなれませんよね。
そして、そこを超えた親の強さとは、
我がことよりも大切な存在がいること。
自分の命よりも、大切な存在がいること。
そして、その存在は、自分とは別の人格であり、
自らの人生を歩んでいく存在であることを認めること。
我が子の未来を信じることができること。
その子のために祈る使命を天から授かりしこと。
そこまで乗り越えてこその、親の強さだと思います。
だから、私は強いです。 └(*`⌒´*)┘
(そういう意味で、だけ、ですが・・・)(笑)
でも、母には、その強さがありません。
強がりばかり言い張っているけれど、
哀しいほどに、母は弱い。
子どもですら、信じることができないのですもの。
結局、一番、孤独だったのは、母でした。
母が、かつて、憧れた宝塚の、
“すみれの花 咲くころ“ を聞くと、
きらびやかだった母の思い出と、
疎まれても疎まれても、母を慕っていた自分自身を思い出し、
胸が詰まります。
今は、干からびて、疎まれて、
意地悪で依怙地でコンジョ悪の権化のようになっていますけど、
母にも若かった頃があって、夢があって、憧れがあった・・・
“すみれの花 咲くころ“ を歌っていたころがありました・・・
私がそれを知っているということが、
今の私の救いです。
そして、それが、私の、
母への愛だと思っています。
最後まで、へんちくちんな話にお付き合いくださってありがとうございます m(_ _)m