リアルな夢 再び [父のこと(脳卒中の後遺症・高次脳機能障害)]
前に、怖い夢を見たことを書きましたが
今度は、良い夢・・・っぽい ? 夢・・・でした
夢の中でも、私は、父が入院している病院に
面会に行っていました。
そうしたら、父が、ベッド上で座れるようになっていて、
普通にしゃべっていたのです
私は、 「 へー、あっそー 」
などと、相槌をうちながら、
私はまだ、父が声を出せるようになっていることに気がついていません
( なんでやねん )
ベッドサイドで用事をしていた私は、
父がしゃべっていることに
途中でやっと気がついて、
「 えぇ~~~~~ッッッ 」 と振り向き、
「 おじーちゃん、しゃべれてるやん 」 と叫びました
「そうなんだよ」
と横浜弁で嬉しそうに答える父。
「いきなり、声が出るようになったんだよ、嬉しくってさ」
「よかったねぇ
それならそうと、もっと早く教えてよぉー 」
涙でつまった声で伝えると、
父は照れたような笑顔を浮かべていました。
父の気持ちがとても前向きになっているのが分かりました
まだ、身体は硬縮しているままなのに、
もぞもぞ動こうとしてるし・・・
いやいや、いくらなんでも、
自分勝手に動くのは、まだ早いし、まだ危ない
それはあかんやろー
と思って、
「ちょ、ちょっと待って 」
ナースが車椅子を用意してくれていました。
慌てて、父のために、
ベッドサイドの窓際に
よいしょ、よいしょ、と、汗だくでソファを用意する私・・・
でも、父は、やはり、自分一人で座位を取るのは難しいようで、
ナースの前で、がっかりした表情をみせました
私は、声が出るようになったからって、
身体がいきなり動かせるようになるわけじゃないこと、
でも、リハビリの成果は出てきてるから、希望はもてることなど、
彼を傷つけないように再sんンオ注意を払いながら、穏やかに話しました
父は頷きながら聞いていました。
でも、とりあえず、起き上がりたい父に、
私は、クッションや座布団などを重ねたり、背宛てに使ったりして、
父が、ソファで、バランスよく座れるように、
バケットシートのごとく、いろいろ工夫していました。
その間も父はしゃべりっぱなし。
まぁ、長い間、しゃべれなかったんやもんね・・・
もっともっと、しゃべりたいんやんねぇ・・・
気が済むまでしゃべってたらええわぁ・・・
あ、子どもたちにLineで知らせなあかん・・・
・・・なんて思いまがら涙が止まらなかった私。
私もテンパッてしまい、、
何から手を付けていいか分からず、
ソファばかり触っていました。
そうして、そのまま、いつの間にやら目が覚めていました・・・。
ベッドの中で、そんなふうになればいいのになぁって、
ぼぉ~っとしながら、しばらく考えてました。
せめて、声くらい出せるようになればいいのに・・・
敗血性ショックでICUにいたのを
ついに、一般病院に付属する、療養病棟に移りました。
大学の同窓会の、寄付金まで気にするくらい、
意識がしっかりしています。
療養病棟は、死を待つ人々が横たわるだけの病院も多くて、
私は眠れないほどに、気に病んでいましたが、
今度の病院は、療養病棟に移っても、リハビリがあるようだし、
ナースやスタッフたちも明るく、前向きで、
父はとても気に入っているようです。
談話室から明石海峡大橋と瀬戸内の海が、
そこに見下ろせるのに・・・
父はまだベッドから離れることはできません・・・
もう少し・・・
父は、若いころ、会社のグリークラブに所属していました。
高齢になってからは、シルバーコーラスの指揮者をしていました。
父は、今でも、
声が出るようになればいいなぁと思って、
声のでない声で、歌を歌っているそうです。
ロンドンデリーの歌 とか、
サンタルチア でも歌っているのかな?
なんか、泣けちゃいます・・・T T
ほんと、歌えるといいね、
声が出るといいね。
せめて、そのくらい、神様は叶えてくれればいいのに・・・!
父に面会に行った日はなかなか眠れません・・・
私自身は期待し過ぎず、
でも、父は、前を向いて毎日を過ごせるように
できるかぎり、支えていきたいと思っています
最後までお付き合いくださってありがとうございます m(_ _)m
今度は、良い夢・・・っぽい ? 夢・・・でした
夢の中でも、私は、父が入院している病院に
面会に行っていました。
そうしたら、父が、ベッド上で座れるようになっていて、
普通にしゃべっていたのです
私は、 「 へー、あっそー 」
などと、相槌をうちながら、
私はまだ、父が声を出せるようになっていることに気がついていません
( なんでやねん )
ベッドサイドで用事をしていた私は、
父がしゃべっていることに
途中でやっと気がついて、
「 えぇ~~~~~ッッッ 」 と振り向き、
「 おじーちゃん、しゃべれてるやん 」 と叫びました
「そうなんだよ」
と横浜弁で嬉しそうに答える父。
「いきなり、声が出るようになったんだよ、嬉しくってさ」
「よかったねぇ
それならそうと、もっと早く教えてよぉー 」
涙でつまった声で伝えると、
父は照れたような笑顔を浮かべていました。
父の気持ちがとても前向きになっているのが分かりました
まだ、身体は硬縮しているままなのに、
もぞもぞ動こうとしてるし・・・
いやいや、いくらなんでも、
自分勝手に動くのは、まだ早いし、まだ危ない
それはあかんやろー
と思って、
「ちょ、ちょっと待って 」
ナースが車椅子を用意してくれていました。
慌てて、父のために、
ベッドサイドの窓際に
よいしょ、よいしょ、と、汗だくでソファを用意する私・・・
でも、父は、やはり、自分一人で座位を取るのは難しいようで、
ナースの前で、がっかりした表情をみせました
私は、声が出るようになったからって、
身体がいきなり動かせるようになるわけじゃないこと、
でも、リハビリの成果は出てきてるから、希望はもてることなど、
彼を傷つけないように再sんンオ注意を払いながら、穏やかに話しました
父は頷きながら聞いていました。
でも、とりあえず、起き上がりたい父に、
私は、クッションや座布団などを重ねたり、背宛てに使ったりして、
父が、ソファで、バランスよく座れるように、
バケットシートのごとく、いろいろ工夫していました。
その間も父はしゃべりっぱなし。
まぁ、長い間、しゃべれなかったんやもんね・・・
もっともっと、しゃべりたいんやんねぇ・・・
気が済むまでしゃべってたらええわぁ・・・
あ、子どもたちにLineで知らせなあかん・・・
・・・なんて思いまがら涙が止まらなかった私。
私もテンパッてしまい、、
何から手を付けていいか分からず、
ソファばかり触っていました。
そうして、そのまま、いつの間にやら目が覚めていました・・・。
ベッドの中で、そんなふうになればいいのになぁって、
ぼぉ~っとしながら、しばらく考えてました。
せめて、声くらい出せるようになればいいのに・・・
敗血性ショックでICUにいたのを
ついに、一般病院に付属する、療養病棟に移りました。
大学の同窓会の、寄付金まで気にするくらい、
意識がしっかりしています。
療養病棟は、死を待つ人々が横たわるだけの病院も多くて、
私は眠れないほどに、気に病んでいましたが、
今度の病院は、療養病棟に移っても、リハビリがあるようだし、
ナースやスタッフたちも明るく、前向きで、
父はとても気に入っているようです。
談話室から明石海峡大橋と瀬戸内の海が、
そこに見下ろせるのに・・・
父はまだベッドから離れることはできません・・・
もう少し・・・
父は、若いころ、会社のグリークラブに所属していました。
高齢になってからは、シルバーコーラスの指揮者をしていました。
父は、今でも、
声が出るようになればいいなぁと思って、
声のでない声で、歌を歌っているそうです。
ロンドンデリーの歌 とか、
サンタルチア でも歌っているのかな?
なんか、泣けちゃいます・・・T T
ほんと、歌えるといいね、
声が出るといいね。
せめて、そのくらい、神様は叶えてくれればいいのに・・・!
父に面会に行った日はなかなか眠れません・・・
私自身は期待し過ぎず、
でも、父は、前を向いて毎日を過ごせるように
できるかぎり、支えていきたいと思っています
最後までお付き合いくださってありがとうございます m(_ _)m
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