多田富雄著 『寡黙なる巨人』 高次脳機能障害 [読書感想文 A^ ^;)]
2010年4月に76才で亡くなられた免疫学者の 多田富雄さん が著した『 寡黙なる巨人 』 を読んでいます
大活字本シリーズも出ています。
多田富雄さんは61才のときに脳梗塞を発症されて声が出せなくなり、右半身不随となられました。
この『 寡黙なる巨人 』には、脳梗塞を起こした当時の様子が生々しく記録されています。ご本人の体験談を記されているので、フィクションではありません。不自由な手で、ワープロをポツポツ叩いて書き上げられました。
多田富雄さんは、この『 寡黙なる巨人 』で小林秀雄賞を受賞されています。
発症時の半醒半睡の状態や自殺を考えられたことから始まり、あとがきには『日常は死で覆われていた』、『私は死人の目で世界を見ていた』『希望のかけらすら見えなかった』と綴られています。
2007年当時に書かれたあとがきの内容には、2005年にガンが発見されたこと、2006年に当時の小泉内閣がリハビリを180日と限定し、その反対運動の様子や、ボストンで上映される新作能のことなどが記されています。
(多田富雄さんは新作能を多く作っておられます)
多田富雄さんという人の人生をたどる思いがします。
若いころに多田さんの『 免疫の意味論 』( 大佛次郎賞を受賞 )を その難解な免疫学ワーズに四苦八苦しながら読んだことがあり、そんな私でも目から鱗の感動を得ることができました
その著者の多田さんが、後年、高次脳機能障害に苦しみながら生き抜いていかれたということを私は知りませんでした。ニュースなどで目にしていても興味がなかったのかもしれません。
若かったんですね…
若いころには、自分が老いていくという将来が見えません。
誰でも老いていきますのにね。
暴飲暴食、バランスに書ける食事、不規則な生活…。
それでも若いから元気です。
けれど、その結果が何十年後に自分の上に現れるとしたら…
今、高齢者の仲間に入れるゲートが目前に迫ってきて、加えて、自分の親の状態を見て、私はかなり慌てています
私の父は3度の脳卒中を患いました。とても元気な人で、病気などしたことがありませんでしたが、脳梗塞を2度、その次は脳出血で、今は動けない、しゃべれない、食べられないという状態になりました。簡単な意思疎通なら少し首を動かせるので可能です。
不都合は多々ありますが、知力は残っているし、もちろん人としての尊厳もあります。
でも、私は、昨日まで元気でカクシャクとしていた人が、あっという間に身動きが取れなくなる過程を目撃しました。とても恐ろしい体験でした
人とのコミュニケーションどころか、「痛い」という言葉さえ発せない父は、ただ黙して絶望するしかないのでしょうか。
私は、父を理解したくて、この『 寡黙なる巨人 』を読み始めましたが、少し読んでは苦しくなって休み、また少し読んでは辛くなって休み… という半端な読みかたで、なかなか読み終えることができずにいます。
ただ、痰の吸引をはじめとする医療・リハビリのことなど、どういう状態でどんなに苦しいものであるかを父は説明できませんが、この本を読んで理解できるようになりました。
『 寡黙なる巨人 』を読んでいると、ほんとうに胸が詰まるのですけれど、それでも多田さんはこの本を執筆しておられたのですから、この本があるということ自体に希望が見い出せる気がしています。
多田さんはNHKのインタビュー(2005年12月に放送)に答えて、不自由な手でパソコンのキーボードを打ち、音声を合成されました。その内容とは、「僕は絶望はしていません。長い闇のむこうに何か希望が見えます。そこには寛容の世界が広がっている。予言です」というものでした。
多田さんは、社会学者の鶴見和子さんとの往復書簡である『邂逅』(藤原書店、2003年)も出版されておられます。( 『邂逅』も読みたいと思っています )
鶴見和子さんも、脳出血で倒れてから高次脳機能障害と共存し、たくさんの著書を発表されています。『 脳卒中で倒れてから よく生きよく死ぬために 』(婦人生活社、1998年)、歌集 『 山姥 』 (藤原書店、2007年)など、他 多数。
(哲学者の鶴見俊介さんは弟さんです)
この本も、ですが、整形外科医の山田 規畝子さんの著書も高次脳機能障害の父を理解するのに役立ちました。『 壊れた脳・生存する知 』、『 それでも脳は学習する 』 など数冊を読みました。
山田 規畝子さんの著書については、また後日、感想などをUPできたらなぁ…(希望)と思っています
父と対面していると、私は自分の無力と直面するのですが、多田さんが高次脳機能障害の中から新しい人格…『 寡黙なる巨人 』に生まれ変わったとおっしゃることに希望を見出せるように思います
最後までお読みくださってありがとうございます^^ m(_ _)m
文庫本です。
原因不明の難病の末、安楽死を考えた遺伝学者・柳澤桂子さんとの書簡です。
水俣病のことを書いた石牟礼道子さんとの往復書簡です。
大活字本シリーズも出ています。
多田富雄さんは61才のときに脳梗塞を発症されて声が出せなくなり、右半身不随となられました。
この『 寡黙なる巨人 』には、脳梗塞を起こした当時の様子が生々しく記録されています。ご本人の体験談を記されているので、フィクションではありません。不自由な手で、ワープロをポツポツ叩いて書き上げられました。
多田富雄さんは、この『 寡黙なる巨人 』で小林秀雄賞を受賞されています。
発症時の半醒半睡の状態や自殺を考えられたことから始まり、あとがきには『日常は死で覆われていた』、『私は死人の目で世界を見ていた』『希望のかけらすら見えなかった』と綴られています。
2007年当時に書かれたあとがきの内容には、2005年にガンが発見されたこと、2006年に当時の小泉内閣がリハビリを180日と限定し、その反対運動の様子や、ボストンで上映される新作能のことなどが記されています。
(多田富雄さんは新作能を多く作っておられます)
多田富雄さんという人の人生をたどる思いがします。
若いころに多田さんの『 免疫の意味論 』( 大佛次郎賞を受賞 )を その難解な免疫学ワーズに四苦八苦しながら読んだことがあり、そんな私でも目から鱗の感動を得ることができました
その著者の多田さんが、後年、高次脳機能障害に苦しみながら生き抜いていかれたということを私は知りませんでした。ニュースなどで目にしていても興味がなかったのかもしれません。
若かったんですね…
若いころには、自分が老いていくという将来が見えません。
誰でも老いていきますのにね。
暴飲暴食、バランスに書ける食事、不規則な生活…。
それでも若いから元気です。
けれど、その結果が何十年後に自分の上に現れるとしたら…
今、高齢者の仲間に入れるゲートが目前に迫ってきて、加えて、自分の親の状態を見て、私はかなり慌てています
私の父は3度の脳卒中を患いました。とても元気な人で、病気などしたことがありませんでしたが、脳梗塞を2度、その次は脳出血で、今は動けない、しゃべれない、食べられないという状態になりました。簡単な意思疎通なら少し首を動かせるので可能です。
不都合は多々ありますが、知力は残っているし、もちろん人としての尊厳もあります。
でも、私は、昨日まで元気でカクシャクとしていた人が、あっという間に身動きが取れなくなる過程を目撃しました。とても恐ろしい体験でした
人とのコミュニケーションどころか、「痛い」という言葉さえ発せない父は、ただ黙して絶望するしかないのでしょうか。
私は、父を理解したくて、この『 寡黙なる巨人 』を読み始めましたが、少し読んでは苦しくなって休み、また少し読んでは辛くなって休み… という半端な読みかたで、なかなか読み終えることができずにいます。
ただ、痰の吸引をはじめとする医療・リハビリのことなど、どういう状態でどんなに苦しいものであるかを父は説明できませんが、この本を読んで理解できるようになりました。
『 寡黙なる巨人 』を読んでいると、ほんとうに胸が詰まるのですけれど、それでも多田さんはこの本を執筆しておられたのですから、この本があるということ自体に希望が見い出せる気がしています。
多田さんはNHKのインタビュー(2005年12月に放送)に答えて、不自由な手でパソコンのキーボードを打ち、音声を合成されました。その内容とは、「僕は絶望はしていません。長い闇のむこうに何か希望が見えます。そこには寛容の世界が広がっている。予言です」というものでした。
多田さんは、社会学者の鶴見和子さんとの往復書簡である『邂逅』(藤原書店、2003年)も出版されておられます。( 『邂逅』も読みたいと思っています )
鶴見和子さんも、脳出血で倒れてから高次脳機能障害と共存し、たくさんの著書を発表されています。『 脳卒中で倒れてから よく生きよく死ぬために 』(婦人生活社、1998年)、歌集 『 山姥 』 (藤原書店、2007年)など、他 多数。
(哲学者の鶴見俊介さんは弟さんです)
この本も、ですが、整形外科医の山田 規畝子さんの著書も高次脳機能障害の父を理解するのに役立ちました。『 壊れた脳・生存する知 』、『 それでも脳は学習する 』 など数冊を読みました。
山田 規畝子さんの著書については、また後日、感想などをUPできたらなぁ…(希望)と思っています
父と対面していると、私は自分の無力と直面するのですが、多田さんが高次脳機能障害の中から新しい人格…『 寡黙なる巨人 』に生まれ変わったとおっしゃることに希望を見出せるように思います
最後までお読みくださってありがとうございます^^ m(_ _)m
文庫本です。
原因不明の難病の末、安楽死を考えた遺伝学者・柳澤桂子さんとの書簡です。
水俣病のことを書いた石牟礼道子さんとの往復書簡です。
2015-08-04 22:00
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