晴耕雨読を考えた雨の日
今日は休みで風邪っ気だったこともあり、コーヒーも紅茶も飲まず( カフェインをとらず ) に 1日を過ごしました。
そうしたら、自分でもびっくりするほど、眠れる眠れる…。(笑
なんじゃこりゃ… (笑
いつもそんなにカフェインに支えられて生活をしているのかと、あらためてびっくりしました。また自分で自覚をしないまま、そういう生活を選択しているワケなので驚きです。
今日は仕事が休みなので、朝は目覚ましなしで起きられるし、美味しい紅茶の香りから始まる朝に何ひとつ不服はなく、日々元気で仕事ができることがありがたくて、満ち足りた気持ちで過ごしています。
お給料面など不満は確かにありますが (笑) 今のところ、私も我儘な働き方を許してもらっているので、まぁ、致し方ないように思えるのも正直なところです。
そんなゆったりした毎日を過ごしているはずなのに、カフェインを摂取しなければ、こんなに眠れるなんて…! まったく予想外の出来事でした
私は、もともと、お昼寝が苦手な人ですのに、そんなに疲れがたまっていたのか?
そんなに睡眠不足だったのか? 驚きです
知らぬ間に自分を叱咤激励していて、力を抜いているようで抜けていないまま、緊張感が継続している… いつの間にか、それが当たり前になっているのかもしれません。
働いている人って、多かれ少なかれ、みんなそうなんだろうね…。
思考がそこまでたどりつくと、みんな、どうやって生活してるんだろう…? 生活って何なんだろう…? って考えてしまいました。
毎朝、電車に揺られ、或いは車のハンドルを握って、職場に向かい、会社の1個のコマとなって命を削って働き、対価として生活費を得る…。
それは、この世で生きていくために必要な生活だけど…。
そんなふうに考えていると、『 晴耕雨読 』 なんて、生前にお舅さんが理想としていらした言葉を思い出しました。
晴れたら外に出て田畑を耕し、
雨が降ったら家の中で本を読み…
これは、何も、わずらわしい世間から離れて隠遁生活をするということではないと思うのです。健康の維持のために、晴れていたら体を動かして仕事をし、雨が降ったらムリはせずに、知識を得たり、休養を取ったりしながら自分の身になることをする。
また、状況によって、そのときにやるべきことをし続ける。
生き方の姿勢として、『 晴耕雨読 』 という言葉をとらえることができます
なんだか、農業を追求していたお義父さんの憧れが、今ごろ生々しい実感を伴って理解できたように思います。もう逝かれて10年以上になります。
きっと義父は、天国で、『 今頃 分かりよったんか! 』 などと憎まれ口を叩きながら、ちょっと嬉しい顔をして笑っていることでしょう。
農業が生易しい仕事だとは思っていません。
まず休みがない。世の中のレジャーとか、連休なんてものとは無縁です。植物でも動物でも、生きたものを扱う仕事なのだから当然です。お世話を休むなんて、とんでもないことです。
ただ、自然の中で自然にそった生き方をすることに対する憧れは、人の思いとして、自然なことではないかと思ったのです。
雨の日の田んぼが恋しくなった・・・
雨音を聞きながら、そんなこと、こんなことを考えた雨の日が静かに暮れていきます
そうしたら、自分でもびっくりするほど、眠れる眠れる…。(笑
なんじゃこりゃ… (笑
いつもそんなにカフェインに支えられて生活をしているのかと、あらためてびっくりしました。また自分で自覚をしないまま、そういう生活を選択しているワケなので驚きです。
今日は仕事が休みなので、朝は目覚ましなしで起きられるし、美味しい紅茶の香りから始まる朝に何ひとつ不服はなく、日々元気で仕事ができることがありがたくて、満ち足りた気持ちで過ごしています。
お給料面など不満は確かにありますが (笑) 今のところ、私も我儘な働き方を許してもらっているので、まぁ、致し方ないように思えるのも正直なところです。
そんなゆったりした毎日を過ごしているはずなのに、カフェインを摂取しなければ、こんなに眠れるなんて…! まったく予想外の出来事でした
私は、もともと、お昼寝が苦手な人ですのに、そんなに疲れがたまっていたのか?
そんなに睡眠不足だったのか? 驚きです
知らぬ間に自分を叱咤激励していて、力を抜いているようで抜けていないまま、緊張感が継続している… いつの間にか、それが当たり前になっているのかもしれません。
働いている人って、多かれ少なかれ、みんなそうなんだろうね…。
思考がそこまでたどりつくと、みんな、どうやって生活してるんだろう…? 生活って何なんだろう…? って考えてしまいました。
毎朝、電車に揺られ、或いは車のハンドルを握って、職場に向かい、会社の1個のコマとなって命を削って働き、対価として生活費を得る…。
それは、この世で生きていくために必要な生活だけど…。
そんなふうに考えていると、『 晴耕雨読 』 なんて、生前にお舅さんが理想としていらした言葉を思い出しました。
晴れたら外に出て田畑を耕し、
雨が降ったら家の中で本を読み…
これは、何も、わずらわしい世間から離れて隠遁生活をするということではないと思うのです。健康の維持のために、晴れていたら体を動かして仕事をし、雨が降ったらムリはせずに、知識を得たり、休養を取ったりしながら自分の身になることをする。
また、状況によって、そのときにやるべきことをし続ける。
生き方の姿勢として、『 晴耕雨読 』 という言葉をとらえることができます
なんだか、農業を追求していたお義父さんの憧れが、今ごろ生々しい実感を伴って理解できたように思います。もう逝かれて10年以上になります。
きっと義父は、天国で、『 今頃 分かりよったんか! 』 などと憎まれ口を叩きながら、ちょっと嬉しい顔をして笑っていることでしょう。
農業が生易しい仕事だとは思っていません。
まず休みがない。世の中のレジャーとか、連休なんてものとは無縁です。植物でも動物でも、生きたものを扱う仕事なのだから当然です。お世話を休むなんて、とんでもないことです。
ただ、自然の中で自然にそった生き方をすることに対する憧れは、人の思いとして、自然なことではないかと思ったのです。
雨の日の田んぼが恋しくなった・・・
雨音を聞きながら、そんなこと、こんなことを考えた雨の日が静かに暮れていきます
2015-06-11 19:51
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